【小話】0022話_満足感より安堵感
2022年6月17日こんにちは。鬼畜な天野Pです。
今回のお題は、安堵感。
本編第47話で“終わり方”に触れるシーンがありましたが、やはり有終の美とまではいかずとも、納得した、満足した上で活動を終えたいものです。
実は、そう思えた時がありました。かなり昔に。
こちらの動画は2013年投稿になりますので9年前です。
これが唯一、私の作品の中でニコ動で1万再生を達成したものになります。Youtubeでは10万再生が何作かありますが、こういう事もあるのです。
この時は、だいたい1日1000再生のペースで伸びた記憶があります。正直、怖かったです。
一方で、「これだけの反響がある作品を出せて良かった」という満足感がありました。本編動画もちょうど〆となる第10話を投稿した後でしたので、本当に丁度良く、まさに“辞めるなら今”でした。出来なかったんですけどね。
でも、今でもこれがこれまでの活動の中で一番“美しく終わるタイミング”だったのだろうと思っています。これを超すタイミングを求めて彷徨ってる感もあります。
そして先日、Twitterでトークロイドで検索していたところこんなツイートを見付けました。
ボカロ厨、小学生の時に全部見た pic.twitter.com/s9XRV7HtZk
— ボカロ ド偏見・あるあるbot (@toarubokarop) June 11, 2022
なんか、右下に見覚えのある動画があります。うん、どう見ても私の作品だ。
こいつは先日、50万再生を達成した作品です。
この作品が投稿されたのは2015年なので7年前。当時小学生だった人も、今では高校生か大学生か。
そういった世代の人達にとって、この作品は懐かしい存在の様です。ツイートに付いたリプを見ても当時相当見たという反応が続いています。
知らない所でそういう作品になれていたんですね。
これまで私は「何か人の心を動かせる作品を作りたい」と思っていました。しかし、もう既にその望みは叶っていたのです。懐かしい思い出になっているという事は、それだけ観た人の心を動かせた証なのですから。
これを見た感想は、「良かった」でした。
そう思われて嬉しいとか、過去の扱いにされて悲しいとか、そういうものではなく、ただただ「良かった」でした。
もう、自分の望みは叶っていたのだと知ることが出来たから。
ちゃんと、私の作品は人の心に残っていたんだという安堵感。
もしかしたら、今が2回目の去り際なのかも知れませんね。ただ今回は私だけが満足して周囲は置き去りになってしまうのでまだ終えられませんけど。
2022/06/17 鬼畜な天野P